2011年弘南堂書店(札幌)で見た『北海道主要樹木図譜』(再版製本)には図版のような紙が折りたたまれており、開けてみるといままで見たことのない樹木をコラージュした石版画が出てきました。
その外形寸法は縦436×横607mm、『北海道主要樹木図譜』の図版(外形寸法縦271×横385mm)の4倍ちかくある大きなものです。
卒業アルバムなどでは集合写真と人物名が符合するよう上から人名が印刷された薄紙が付けられていることがありますが、この石版画にも樹種の名前が小さくルビのようにふられたトレーシング・ペーパーが重ねられており、左側には「北海道重要樹木図」、「大正11年7月15日印刷」、また左下部には「c.suzaki.del」、右下部には「kayama.reprod.」と小さな文字が印刷されており、須崎忠助が絵を描き、『北海道主要樹木図譜』の製作チームが手掛けたものであることも分かりました。
(del.はdelineavit の短縮形で「何某画」、reprod.はreproductionの短縮形で「複製」の意味)
しかし絵柄には学術的要素が一切なく、図鑑として作られたものではないことは明白です。
この図版を製作する目的はどこにあったのか、第7輯発行2か月後という中途半端な時期になぜこのようなものを印刷したのか、北海道大学附属図書館調査支援担当(当時)小坂麻衣子氏に協力をお願いし、調べていただきました。
その結果、『北海道主要樹木図譜』の第1輯がいよいよ刊行されようとしていたその前年の大正8年に中島公園で「開道五十年記念北海道博覧会」が開催され、パビリオンのひとつ林業館に「北海道重要樹木図」が掲げられていたことが北海タイムスの大正7年8月9日付け記事にあるとのお知らせをいただきました。
さらに、この博覧会を記録した写真集『開道五十年記念北海道博覧会写真帖』(北海石版社)には、林業館内部写真が数枚あり、そのなかの「林業館内ノ陳列(北海道樹木図譜)」とキャプションがつけられた1枚には、北海道主要樹木図譜とおぼしき額縁が多数見え、後に発行されたものとは完全に同一ではないものの、試作品とでもいうべき図版が多数額装されて展示されていることも確認できました。
これは大正9年の第1輯発行以前に、すでに多くの試作品ともいうべきプロトタイプが準備されていたことがうかがえるものでした。
おそらく大正2年の道庁発注時から大正9年のリリースまでの7年間はたんなる準備期間にあてられたのではなく、すでに多くの実作業が進行していたものと思われます。
その後、ある札幌在住のかたから「北海道重要樹木図を入手した」とのご連絡を受け、出版の経緯や背景などについて貴重な示唆をいただきました。
そのかたの推測では、当時の摂政皇太子(のちの昭和天皇)が大正11年7月中旬に約2週間にわたり北海道内を鉄路で行啓された折りに製作されたものではないか、ということでした。
たしかに、上記満州日日新聞の記事にある「北海道重要樹木図」とは同一名称であるものの、印刷年月日からみれば行啓イベントの一環として製作されたという見立ては理にかなっているとも感じます。
(札幌市内中央部には「行啓通」という道路名も残っています)
また、上記弘南堂書店のご主人高木庄一氏は「わたしのオヤジが以前この絵を見たことがある、と言っておりました」と語られており、近年(昭和中期)まで一部の人たちの間で流通していた可能性もあると考えられますが、今後は手掛かりとなる情報や所有者が現れるのを待つばかりです。